白巣城
別名 白洲城 | 付近住所 津名郡五色町鮎原三野畑 | 現在 白巣山 |
2004/2/8 | 碑・案内板アリ | 日本城郭大系 |
安宅氏 |
白巣城は淡路島の略中央に位置し、先山山系の標高317mの高峰白巣山に構えられた砦で、周囲険阻、又とない要害無比の地で、戦略上最も重要な典型的な砦である。この砦の築かれたのは、室町末期頃より戦国の風雲急を告げる時、外部勢力との抗争に利用する為、築城されたと考えられる。「味地草」に「古記に云う、白巣城は足利の末、安宅九郎左衛門冬秀 二・三代居住すと・・・」と記されており、当時の状況から想像すれば、足利将軍義植が大永1年(1521)淡路に走ってからのものと推定される。しかしはっきりした根拠はなく古誌或は伝説によると城主は安宅九郎左衛門冬秀公で、今から約400年前の天正9年(1581)11月に羽柴筑前守秀吉の淡路征伐により滅ぼされたと伝えられている。時に淡路の各城主は皆降参したが、冬秀公只一人が従わず、秀吉の軍勢が攻め登らぬよう城の登り坂に、竹の皮を敷きつめ勇敢に戦ったが、秀吉軍はこれに火を放ち、城を焼き討ちにしたのである。城主冬秀公はもうこれまでと覚悟を決め潔く火中に身を投じ、自害し果てたと伝えられている。ところで、城巣城の城郭について見ると、中世後期の築城で山上の天嶮を巧に利用した砦で、城郭は白巣山の丘陵城で削平し、大小十五の台地を造り、それに空掘りとか土塁を構えていた。台地の主なものは本丸、東の丸、西の丸、馬責場、馬繋場、米倉、物見台等で櫓が築かれていたようである。 |